中学1年の時が初めての国際大会で、外国人を見たのも初めての経験だったんです。まるでテレビの世界のようで、ドキドキしながら「あぁ、こういう人たちとも戦っていくんだなぁ」と思ったのは覚えています。 とにかく見た目が強そうに映って、戦うのが怖いな、と思いました。でも、いざやってみたら、「あれ?」という感じでした(笑)。海外の選手は強そうな雰囲気もありましたし、リーチの長さとかは確かにあるんですけど、でも、やってみたら日本人の選手の方が全然強いな、と。国内大会よりも楽に勝てたので、楽しかったですね。 ―― 海外の選手は、体が大きい分、腰高で、タックルに入りやすかったのでしょうか? はい、おっしゃる通りです。もちろん、今はもうどの選手も低く構えてくるので、なかなかタックルに行くのも至難の業ですが、当時はみんな腰高で、結構簡単にタックルに入れたんです。私の得意技が決まりやすかったので、国際大会では負ける気がしなかったですね。 父親から伝授された「タックル」へのこだわり 高校2年、フランス国際大会に出場し優勝。(1998年) ―― 高校は三重県立久居高校に進学しました。吉田さんの自宅からは、およそ10キロほどと、割と近いところにあると思いますが、この高校を選んだ理由は何だったんですか? 父が選びました。スポーツ科学コースもありましたし、家から近くて、レスリング部があったということが大きかったのだと思います。 ―― 練習拠点は、高校と自宅の道場と、どちらだったんですか? どっちもです。放課後、高校で部活動の練習をして、帰宅後に自宅の道場で父親から指導を受けていました。 ―― 高校時代にはもう絶対的な自信を持って、レスリングをしていたんですか? 全日本選手権では勝つことができていなかったので、まだ自信とうい自信はありませんでした。ただ、自分のレスリングに迷いはなかったです。やめたいとも思っていなかったですし、とにかく「勝ちたい」一心でやっていました。 北京オリンピック。父から授かった高速タックルを決める。(2008年) ―― その頃、お父さんからよく言われたのはどんなことでしたか? ただただ「タックルで攻めろ」と。そのひと言だけでしたね。私はどちらかというと、言われたことはすぐにできるタイプだったので、練習中もそれほどうるさくは言われなかったんです。逆に、兄はよく注意されていましたけど、私には言わなかったですね。試合の時も、細かいこと言うというよりは「とにかく攻めろ」と。 ―― 例えば、相手の弱点のつき方や、時間の使い方など、いろいろと戦略があると思いますが、お父さんからアドバイスされたこともあったのでは?
やっぱり一番は試合で勝った時ですよね。毎日の練習は嫌でしたけど、試合に出れば勝つことが多かったので、楽しかったです。 高校1年、国際大会にて。(左から二番目。右端が父でコーチの栄勝氏)(1998年1月) ―― 吉田さんのお父さんは厳しい指導者で有名ですが、子どもの時はどのくらいの練習量だったんですか? 小学生に入ってからは、それこそ毎日でした。休みはお盆とお正月の2、3日ずつだけで、あとは平日も土日も休みはなかったです。道場で練習するか、出稽古に行くか、試合に出るか……。 とにかくレスリング漬けの毎日でした。 ―― 友達と遊びたいと思ったこともあったのでは? はい、友達と遊べないのが嫌で、レスリングをやめたいと何度も思いました。でも、我が家は父親が言うことは絶対でしたし、すごく怖かったので、逆らうことはできなかったんです。だから友達から「遊ぼう」と言われても、「ごめんね。レスリングの練習があるから」と泣く泣く断るしかありませんでした。そのうち「沙保里ちゃんは、レスリングがあるから、遊べないんだ」と、友達からも誘われなくなりました。 ―― 逆に言えば、家族との絆が深かったんでしょうね。 そうかもしれないですね。とにかく、いつも家族で一緒にいましたからね。 負ける気がしなかった海外選手との国際大会 高校2年、フランス国際大会で優勝しガッツポーズ。(1998年) ―― お父さんに「やらされていた」レスリングから、自分で「やる」レスリングへと変わっていったのは、いつ頃だったんですか? 中学生になってからです。2年の時に、アトランタオリンピックで田村(現谷)亮子選手が戦っている姿をテレビで観て、「私も、こんなふうに強い選手になりたい」と思いました。それからは、レスリングをやめたいと思ったことは一度もなかったです。 ―― その頃から、新聞記事にはコンスタントに吉田さんの名前が登場するようになるのですが、当時はメディアに取り上げられることは意識していましたか? まだ、それほど意識はしていなかったですね。ただ、中学に入ってから国際大会に出るようになって、そこで優勝したりすると、市長さんに挨拶に行くことがありました。それで「新聞に記事が載っていたよ」と言われたりすると、ちょっと嬉しかったりしたというのは覚えています。 ―― 中学1年から毎年、フランスの国際大会に出場していたようですね。海外の選手はどんな印象でしたか?
せっかくブログを書いているし~ってことで、死ぬまでに1度はお試ししてみたかった 超有名サプリ『カロリミット』の大人版『大人のカロリミット』の特徴&実験レポまとめです。 結論から言いますと、 わたしは初回限定セットの28回分で太ってしまいまし た。 ぶり子 新しくなった『大人のカロリミット』副作用は? 初めに重要な副作用について。 『大人のカロリミット』は代謝も気になる大人をサポートする機能性表示食品。 機能性表示食品 = 科学的根拠に基づいた機能性を表示した食品で、安全性や機能性の根拠に関する情報などが消費者庁長官へ届け出られている 食品サプリメントです。 サプリメントは食品ですので、副作用の記載はありません。 ただ・・・・ ● かにアレルギー の方は摂取しないでください。 アレルギー症状ではひどい場合には死に至るケースもあります。 ● 疾病に罹患している場合 は医師に、医薬品を服用している場合は医師、薬剤師に相談が必要です。 ● 未成年、妊産婦(妊娠を計画している方)、授乳婦を対象に開発されたものでは ありません。 ほか、どの食品にも言えることですが、アレルギー、体質や体調により、体に合わないことがあります。 大人のカロリミットの効果を検証! ・かにアレルギー ・ 未成年 ・ 妊産婦 (妊娠を計画している方) 及び授乳婦 ・ 疾病に罹患していて医師、薬剤師に摂取可能か未確認 わたしはこれに当てはまらない! さっそく、わたしの『大人のカロリミット』約2週間お試し体験談をチェック♪ ※あくまでも個人の感想であり、感覚的なもので、すべての方に同じような実感が得られるものではありません。 1週間(一袋)目の変化 大人のカロリミット体験1週目。 この週は娘の卒業式が近く、気持ちがウキウキしたわたしは・・・ 旗振り当番頑張ってきたし! お母さんいろいろ頑張ったし! わたしは自由だ!! と、週に3回も昼からビールを飲みながら中華を食べたり二郎系ラーメンを食べたり 卒業式にはケーキを3個ほど食べ・・・ 毎晩たらふく酒を飲み、水曜日にはドミノピザを3枚注文し、〆にはラーメンか、遠慮してお茶漬けを食べて寝ました。 この週は朝から晩まで元気ハツラツ!! 開始時の体重は60. 40kg/162cm ↓↓↓ 約1週間後は60. 85kgでした。 特に変化なし!という感じですね! 2週間(二袋)目の変化 2週目はもっと元気ハツラツ!
「やらない」という選択肢はなかったレスリング漬けの生活 桜花道場での練習風景(2015年) ―― 吉田さんは、3歳の時にレスリングを始められたそうですが、中学時代は陸上をされていたそうですね。 はい、中学校にはレスリング部がなかったので、陸上部に所属していて、主に短距離やハードルをやっていました。 ―― やっぱり、相当速かったんでしょうね。 まぁまぁという感じでしたよ。私よりも速い選手は他にたくさんいましたので。ただ、体育の成績は良かったですね。運動会になると、いつもアンカーをやっていました。苦手なのは長距離で、マラソン大会の成績は、あまり良くなかったですね。 ―― 中学校時代は、陸上部をやりながら、家に帰るとレスリングの練習をしていたと。 そうですね。中学校から自宅までは徒歩5分くらいで、自宅にレスリング道場がありましたので、部活を終えて、帰宅してからレスリングの練習という毎日でした。 滝に打たれて精神統一(左から二番目。中央は福田会長)(2005年) ―― その頃からクラスでも目立つ存在ではあったんですか? いえいえ、もう本当に普通の女の子でしたよ。ただレスリングをやっているというところだけが、ちょっと他の女の子とは違っていただけで、クラスでも特に目立つような存在ではなかったと思います。 ―― 当時、将来の夢は何だったんですか? 小学生の時は、ただ父親にレスリングをやらされていたという感じで、自分が将来何になりたいかなんて考えたことがなかったですね。 ―― 子どもの頃は「やらされていた」という感覚だったんですね。 そうです。兄2人もやっていましたし、物心ついた時にはやらなくちゃいけない状況だったというか、やるのが当然という感じでしたから、私だけがレスリングをやらないという選択肢はなかったんです。吉田家にとってレスリングは生まれた時から必然的に行なわれる「日常」の一つでした。 放課後は一度も遊ばなかった小学校時代 吉田沙保里氏 インタビュー風景 ―― 当時は、まだレスリング女子はオリンピック競技になっていませんでした。やはり、お父さんはお兄さん2人の方に力を入れていたという感じで、末っ子の女の子である吉田さんには少し甘かったところもあったりしたのでは? 確かに最初、父は兄たちに力を入れて指導していたのですが、私がどんどん力をつけていって、気付いたら家族が私中心になっていました。 ―― 小学生の時から全国優勝ですからね。 全国大会で優勝していましたが、その頃はいつも必ず勝っていたというわけではなかったんです。男子の大会にも出ていたこともあって、勝ったり負けたりして、悔しい思いも何度もしました。 ―― 「やらされている」レスリングでも、「楽しい」と思う時はありましたか?
以上のことから出てきた噂でもあるのですが、 それ以外の嫌われている理由として以下があります。 ・バラエティ番組でなんかでしゃばってる。 ・NEWSが好きなのか媚を売りまくっている。 前者に関しては今までそういうキャラであり、 ある種ウザイキャラとして成り立っているのが彼女。 今更別のキャラにするわけにも行かないので、 それを維持しているだけでないのかなと思ったり。 あとは、そうですね。NEWSもそうなのですが、 結構絡みに行くのでジャニファンを微妙に敵を回してますね。 ネット界隈、いろんなファンという存在がありますが、 一番敵に回したら怖いのがジャニーズファンなんですよね。 ・・・あくまで個人間ですけど。 距離がちょっと近いだけで嫉妬されたりするので、 あー、女性って怖いなァ、とか思ったり。 吉田沙保里が嫌いな話や悪評・まとめ ・吉田沙保里はパワハラ騒動が尾を引いて悪評が長続きかも。 ・吉田沙保里が嫌われる理由はでしゃばりとジャニファンの嫉妬。 それではこの駄記事は以上となります。 駄文をここまでお読みくださり、どうもありがとうございました。_(-ω-`_)⌒)_ - 著名人 執筆者:
うーん、あまり覚えていないですね。それほど、言われなかったんだと思います。中学、高校の頃は、もう試合慣れをしていましたし、そういう細かいことは試合中に自分で考えて、自分で判断していました。 それと、私が末っ子というのも少し関係しているかもしれないです。というのも、私自身は覚えていないのですが、母が言うには、小さい頃に兄を見ていて、「あぁ、お兄ちゃん、あんなふうにしたら、お父さんに怒られちゃうのに。こうしたらいいのになぁ」というようなことをよく言っていたらしいんです。それが父に聞こえて「オマエはやらんのやったら、黙ってろ!」って怒られたらしいんですけど(笑)。 兄とか周りを見て、色々と覚えたり吸収したりすることもあって、観察力みたいなものが養われていたのかもしれません。
著名人 投稿日: 2018年11月1日 女子レスリングの騒動後はちょっとおとなし目の吉田沙保里さん。 ある意味巻き添えを食らったと考えることもできますが・・・。 吉田沙保里が嫌いになった?性格悪い噂や悪評は現在ある? ただ、ケチがついちゃったのはどうしようもないですね。 スポンサーリンク 吉田沙保里の現在の状況って? こんにちは。 いつもお読みくださり、ありがとうございます。 今日は女子レスリングの吉田沙保里さんについてお話しましょう。 さて、吉田沙保里さんといえば霊長類最強女子。 女子レスリングで様々な記録を打ち立てた生きる伝説です。 また、タレント性も非常に高く、 女子レスリングの顔と言ってもいいのではないでしょうか。 伊調馨さんなんかも吉田沙保里さんと同じレベルで、 色々な記録を立てていますが印象薄い人が殆ですよね。 しかしこのイチョウカオリさんを発端にレスリング協会に スキャンダルがあったことは覚えている方も多いと思います。 そう、例のかなり引きずったパワハラ問題ですね。 結果、責任を問われて彼女のコーチであった、 栄和人強化本部長は辞任する形になりました。 この女子レスリング協会のぐだぐだの案件以降、 微妙に吉田沙保里さんが嫌いって声も増えているのが今。 今日はその辺をちょっとだけ詰めていきましょう。 吉田沙保里のプロフィール 本名:吉田沙保里(よしだ・さほり) 生年月日:1982年10月5日 年齢:36歳(2018年10月時点) 出身:三重県 身長:157cm 職業:レスリング選手 いくらケチが付いての、強いのには変わりなく。 吉田沙保里の評判って実際どうなの? 吉田沙保里に悪評の噂はある? この女子レスリングパワハラ騒動で、 至学館大学周りもかなりきな臭い動きを見せましたよね。 学長なんかもかなり出てきて、 怪しい上にトンチンカンな発言を繰り返していたように思います。 そして吉田沙保里さんは至学館大学の副学長。学長の次に偉い立場でした。 更に栄本部長とは非常にパイプも強く、 いわゆる"栄派"の一人で兄弟な存在でいたのも確かです。 吉田沙保里さんは栄本部長の秘蔵っ子と言われており、 パワハラ騒動中は沈黙を貫いていたものの悪評が噴出。 「リオ五輪の前ぐらいから吉田自身の評判も急落していた。メディアに取材のギャラを要求するようになったり、移動の際の飛行機や新幹線のクラスにも口うるさくなった。リオ五輪直前に1000人以上を集めて会費制の壮行会を開催。『本番前に集金パーティーかよ』などと揶揄されていた。ここまで派手にやっても許されていたのは、やはりレスリング協会の庇護のもとにいたからという部分は大きい。栄氏が失脚したら、吉田の待遇も大きく変わるだろう」 こんなレスリング関係者のインタビューなども表に出てきて、 "嫌いになった"という声が増えていたのが当時ですね。 ただ、やっぱり自称関係者の言葉ではあるので、 どこから出てきたかは不明で信憑性は薄いですね。 吉田沙保里の性格の噂とは?